めくるめく雑記帳

生活記録/買ってよかったものの記録

「なんでも自分でやりたい」の罠

3歳の娘は、家事のお手伝いが大好きだ。

洗濯物をたたむのも、みそ汁に具を入れるのも、卵をかき混ぜるのも、全部やりたい。

本人が「やりたい!」と言っていたことを、うっかりこちらで済ませてしまおうものなら、もう大変。

「○○ちゃんが!○○ちゃんがやりたかったああああー!!やりたかったあぁぁぁあああー!!(号泣)」となる。

なんでも自分でやりたガール、と私はひそかに脳内で呼んでいる。

 

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※写真はイメージです

 

「やりたい気持ちが強い」ぶん、実際に、洗濯物をたたんでみたり、みそ汁に具を入れてみたりして、彼女が想像したほどうまく出来なかった(であろう)ときの、悔しがりようも、圧巻だ。

「自分でやりたい気持ち」と「できなくて悔しい気持ち」の間で揺れ動く彼女は、我が娘ながらとてもかわいい。

かわいいけど、サポートする側はなかなか骨が折れる。台所仕事の「お手伝い」に関しては、こちらの心と時間に余裕がないと、つい私は「ちょっと…あっちで、テレビでもみててくれる…?あとはママがやるから」とか言ってしまう。

そしてその後、私は必ずといっていいほど、自己嫌悪に陥ってしまう。「せっかく娘が台所仕事に興味を持ったのに…もうちょっと、何とかできたよね…」と。

自己嫌悪に陥るのは、完全に私自身の問題だ。「わたしって他人との共同作業があまり得意じゃないからな」というコンプレックスのせい。

「私がもうちょっと心に余裕があって、サポートが上手なお母さんだったらな..」なんてことを、つい思ってしまうのだ。

私もずっと、「何でも自分でやりたい」の人だった

娘のことからいったん離れて、私自身の少女時代を振り返ってみる。

私は、子供の頃からマイペースで不器用だったからか「なんでも出来ちゃう器用な人」への憧れが、尋常ではなくずっとあった。
「将来の夢」と呼べるものを明確に持てなかった代わりに、「なんでも出来る人になりたい」という漠然した思いだけがあった。

例えばミュージシャンで言うと、作詞も作曲もやって、楽器も全パートやって、歌も歌っちゃう、みたいな、そういう人に憧れていた。それでこそ真のプロフェッショナルよ!くらいに思っていた。

私の「(できないくせに)何でも自分でやりたい」は大人になってからもまだしつこく続いた。

社会人になったばかりの新卒時代、仕事はぜんぜんできないくせに、仕事で何かわからないことがあってもなんでも自分で調べて解決しようとしていたし、自分でやりたかったし、自分でやることが正しいことだと信じていた。

だいぶギリギリまで粘って、最終的には「すみませんわかりません、教えてください」と聞きつつも、内心はそれは「負け」だと思っていた。

さぞめんどうくさい新人だったと思うが、当時の私の上司はとてもやさしく、あるときこう言ってくださった。

「自分でやることは大事だけど、わからないな、って思ったら聞いていいんだよ。5分調べて分からなかったら、口に出して分からないって言ってみて。そしたら何かしらアドバイスできるから。」

その時のなんとも言えない、居心地の悪さと安心感が混ざった気持ちは忘れられない。


えっ、頼ってもいいの...?

 

そう思うと同時に、それまで自分を支えていた軸が揺らぐような感覚があった。私の「なんでも自分でやりたい」は「私を必要としてほしい」の裏返しでもあったからだ。

「何にも出来ない私には価値がないから、何でも出来る人にならないと、人から必要としてもらえない。」という、今思えば、かなり極端な考えが、私の中にはあったのだった。

その後も色々なことがあって、「全部自分でできることが偉いわけじゃないんだ、人に甘えたり協力したりしながら、周りも巻き込んで進めて行く力が大事なんだ」

「人にはすんなり出来ることと出来ないことがあって、それは当然のことで、何ら恥ずべきことではない」
「分からなかったら分かる人に助けを求めればいい」

というようなことを、実感として受け入れるのに、時間がかかった。

そんなわけで、いまは私の中の「何でも自分でやりたい私」は大分影を潜めたと自分では思っているけれど、もともとがそういう考え方の持ち主だったということは、
今もその後遺症はちょっと残っているって事なんだろうな、と思っている。

気をつけなくては、と思うと同時に、人に迷惑をかけない(かけてもいい)部分で、自分の好き勝手にできる領域を作っておくということも必要だな、と思っている。

 

「何でもやりたガール」である娘と、どう向き合っていくか

長々と自分自身のことに思いをめぐらせたあと、娘のことをまた考える。

彼女はこれから、どんなことを考えて、どんなふうに成長していくのだろう?

それはわたしにはわからない。彼女はわたしとは違う人間だから。

わからないけれど、まずは本人のやりたいことを、命の危険がない範囲で、出来る限りやらせてあげる、というくらいしか、結局のところ、親である私には出来ることがないような気がする。

何事も、なんでも自分で全部やってみないことには、自分がどこまで出来るのかわからないし、失敗から学ぶこともできない。何が得意で何が不得意なのか、何が好きで何が嫌いなのか、わからないまま大人になるということは、とても不安なことだと思うから。

というわけで、まず、今、私にできることは「完璧を目指さない」ということかと思う。

娘が台所仕事をやりたいと言ったとき、私が「テレビでもみてて」などと言わないで済むように、時間と心に余裕を持って日々を過ごしたい。できるだけ。