めぐみろぐ

30代/2児の母の備忘録です。思ったことを書きます。

他人の感情はコントロールできない

この1年間で、"他人との境界線"というものを以前より強く意識するようになった。

 

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これは、コロナ禍に突入したころ、精神が不安定になったときに書いた記事だ。

一人になる時間が減ったことと、外食をしたり友達と会ったり等の「不要不急の外出」によって気分転換をする機会が減ったことによる影響だったと思う。

とにかく「このままではいけない」と思った。

"考えてみればわたしは、他人との境界線があいまいなままほとんどの人生を過ごしてきたのかもしれない"

ということに、コロナ禍によって気づくことができたのはとても良いことだったと思う。

 

話は変わるが、私は子供のころ、不満をすぐ口に出す子が嫌いだった。

小学校5年生のある日のこと。

その日の給食はパンとバナナと牛乳だけだった。午後に「ミニ運動会」なるイベントが予定されていたので、"給食は消化の良いものをさっと食べて短時間で済ませましょう"という学校の配慮によるメニューだったのだと思う。

給食が運ばれてきたとき、同級生のAくんが

「まじかよー!今日の給食これだけかよ!つまんねえ」

と言ったので私は「またか」と思った。

私はこのAくんが嫌いであった。思ったことをすぐ口に出すところも意味がわからないし、まるで呼吸をするようにどうでもいい不満や愚痴を垂れ流すのも意味がわからないし、私の近くに寄って来るな!とふだんから思っていた。

私はというと、学級委員とか生徒会とかを進んでやるタイプの、典型的な「いい子ちゃん」タイプの子供だった。と同時に、学校というものに対して、ほぼ何も期待していなかった。

"これだけ大勢の子供が毎日同じ空間で過ごすのだから、みんな考えていることは違って当然だし、みんなの希望が叶うようにするなんて無理だろう。だからある程度、学校側の決めた予定に従って生活するのが一番平和なのだ。"

"そもそも、学校にだって本当は来たくないし友達と遊ぶよりもっと一人で好きなことをしていたいし勉強だってしたくないけど「まあ子供は小学校に行くものですから」「小学校では学校の取り決めに従って生活するもんですから」とせっかく妥協点を見つけて、そういう不満はできるだけ学校では言わないようにして、こんなに前向きに!学校というものを受け入れて平和に生活しているのに、お前の、そういう、身も蓋もない発言で私の精神衛生をいちいち汚すんじゃねえ!"

ということを思って生きていた。

Aくんの「まじかよー!今日の給食これだけかよ!つまんねえ」に対して私はどうしたかというと、

「まあ、量は少ないけど消化もよさそうだし、たまにはこんな給食もいいじゃん」とAくんに言ったのだった。

Aくんは当然「うるせえ」と私に言い返し、むっとした私は「うるせえってなんだよ、お前のほうがうるせえわ」と言い返し、

それを見ていたほかの同級生が「めぐみちゃんとAくんがけんかしてますー!」と先生に告げ口し「どうしたの」と先生に声をかけられ「これこれこういうわけで」と説明したら「まあ、どっちもどっちね..」というようなことを先生は言った。

"はあ?どっちもどっちってことはないだろう。明らかに私の方が正しいだろ。"

"釈然としない。私は正しいことを言ってるのに。"

と思ったのを覚えている。

たまたま思い出したこのエピソードは氷山の一角だが、子供時代のわたしの友達とのけんかはだいたいこのような

「思っている不満を全部言わないことが美しい」という考えの私 VS「思ったことをそのまま発言や態度に出す同級生」という構造だったな~と思う。

今更だけど、Aくんに悪いことしちゃったな、と思う。

「不満に思っていることを口に出して言ったほうがいい」という世界線があるということを私はそのとき知らなかった。「思っていることを全部言わないことが美しい」というのは、あくまでそのときの私が思い込んでいた私の正しさであって、みんなにとっての正しさではなかったのだった。

しかも問題はそれだけではない。

わたしは、自分と見解の違う人が視界に入ると、「相手の感情や見解をコントロールしようとする」ことで、コミュニケーションを進めることがとても多かった。

例えば、落ち込んでいる人がいたら励ました方がいいのだと思っていたし、

「自分は不幸だ」と思っている人がいたら「幸せだ」と思えるようになった方がいいに決まっていると思っていたし、

元気がないよりは、元気がある方がいいに決まっていると思っていたし、

勉強が嫌いなよりは好きな方がいいと思っていたし、

「今日の給食つまんねえな」と思っている子がいたら「不本意な給食メニューであっても、少しでも楽しみを見いだせた方がいいに決まってる」と思っていた。

要は、他人の感情のことにまで踏み込みすぎていたのだ。自分にとって「前向きに考える」ことが処世術なのであれば、一人で勝手にそうしたらよかったのだ。

私は不満や愚痴を垂れ流す人を疎ましく思っていた。そこまではいい。

ただ、私はその「不満や愚痴を垂れ流したくなる心理状態」までを否定する必要はないし、他人の感情をコントロールする権利は誰にもないのだ。権利がないというか、そもそも不可能だった。

私がAくんの発言を疎ましく思っていたなら「イライラするから黙って」とそのまま私が思っていることを言えば、むしろけんかにならなかったのかもしれないな?(いや、わからないけど…)

SNSでの他人の発言は簡単にミュートできるけれど、直接人と顔を合わせる場では、他人の聞きたくない発言が耳に飛び込んでくるのを防げない。だからこそ、他人の感情に振り回されないことが重要だ。

 

他人の感情に配慮しすぎないことと、"わたしはわたし、あなたはあなた"、ということを前より強く意識するようになったら、以前よりも気負わずにブログが書けるようになったと思う。

他人に配慮することは大事だけれど、それと同じくらい自分の感情を大事にしていきたいなと思う。

 

 

お題「#この1年の変化」