『蛇を踏む』は、川上弘美さんの小説。1996年に第115回芥川賞を受賞した作品です。
内容紹介
女は藪で蛇を踏んだ。蛇は女になり食事を作って待つ。母性の眠りに魅かれつつも抵抗する、女性の自立と孤独。芥川賞受賞作他二篇
(出版書誌データベース BOOKS 「内容紹介」より引用)
発表当時、中学生だったわたしには、これが純文学かあ……よくわからないなあ、という感じだった記憶があります。
が、大人になって読み返して、
うわ~~~~~~~いるわーーーーーー、こういう人!!! こういう、蛇みたいな人!!!笑
と思って身震いしたものです。笑
蛇=境界線をぬるっと超えてくる人のメタファー?
この小説に出てくる蛇(ふだんは女の姿をしている)を見ていると、どうしても現実にいる「他人との境界線を、ぬるりと越えてくる人」のことを思い出してしまいます。
ずいぶん余計なお世話だなー、と思うようなことを、ずけずけと言ってくるところとか。
「いったい、あなたは私の何なんですか」と言いたくなるような、決めつけた物言いをしてくるとか。
こちらが「そうじゃないって言ってるでしょう!」と言い返しても、いつの間にか向こうのペースに巻き込まれている。
頼んでもいないのに強引に誘ってきて、断っても断っても、また誘ってくる。あなた一体わたしの何を知ってるの?! と言いたくなる感じ。
いやー……こういう人、いるよなあ……(遠い目)
作中に「蛇と私の間には壁がなかった」という表現が出てきます。
蛇は、無理やり主人公の心の壁を壊して侵入してくるというよりも、そもそも壁など存在しないかのように、やわらかく、ぬるりと、すうっと入ってくるんですね、しかも、おそらく悪気なく。
「あなたのためを思って」とでもいうような顔で、ごく自然にこちらの領域へ入り込んでくる。
その気持ち悪さ、恐ろしさが「蛇がふだんは女の姿でさりげなく近づいてくる」という設定によってうまく体現されているなと感じました。境界線のない者と主人公との、静かなバトルを描いた物語というか。
奇妙なバランスで成り立つ店
主人公が働いている店も、なんとも不思議です。「ニシ子さん」と「コスガさん」の夫婦が商売をしているのだが、読んでいるあいだ、何度も「大丈夫なの、この店?」と思った。
それでも、店は奇妙なバランスで成り立っている。
ニシ子さんがいなくなったら、コスガさんは大丈夫なのだろうか。店そのものも成り立たなくなるのではないか。
ニシ子さんは腕がよく、仕事はできるらしい。けれど、どこか危うい。
頼りになるように見えるときもあるが、根本が不安定だ。いつ、すべてが破綻してもおかしくないような雰囲気が漂っています。
そんな店で働く主人公も主人公というか……「どうしてこの職場を選んだの?」と思ってしまいます。本人が積極的に選んだというよりも、気がついたらそこにいた、という感じなのでしょうか?
仕事選びも、人間関係も、はっきりとした意志で選び取るというより、いつの間にか流れ着いて巻き込まれていくような主人公の意志の曖昧さと不安定さ、それをうっすら自覚しつつなんとか抗おうとする流れが、この小説の面白さなのかな、と感じています。
漫画化してほしい
この作品、漫画化してほしいです。バトルまんがとして。笑
蛇が人の姿になって、生活の中へぬるっと入り込んでくる様子と、それに抗おうとする主人公の様子をバトルシーンとして見たら、かなり不気味で面白いのではないだろうか?
なんかこう、「呪術廻戦」みたいなテイストで……(呪術廻戦が好きな人に「全然テーマが違う!」って怒られるかもしれないけれど……)
少なくともわたしにとって『蛇を踏む』は、単なるファンタジーとか奇妙な話ではなく、めちゃくちゃ「人間関係と人生の話」でした。人間関係の中に潜む怪異を描いた物語として読んだ。
他人との境界線を平然と越えてくる人の気持ち悪さや、拒絶しているはずなのに、いつの間にか相手の世界へ引き込まれてしまう恐ろしさ。こわいですね!
境界線を踏み越えてくる輩には、確固たる意志をもって抗っていきたいな! と思います。