為末大さんの「諦める力」を読みました。
日本人は「やめる」「諦める」と言う言葉の背後に、自分の能力が足りなかったと言う負い目や後ろめたさや敗北感を強く持ちすぎるような気がする。
(為末大「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」本文より引用)
憧れの存在を持つなとは言わない。ただ、自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを、しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる。自分とはまったく接点のない人に憧れて、自分の短所を埋めているつもりが長所ごと削り取っている人はかなりの数に上ると思う。僕はこれを「憧れの罠」と呼んでいる。
(為末大「諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない」本文より引用)
「諦める」という言葉にはネガティブな印象がありますが、本書における「諦める」は、自分の得意分野や好きなことを見つけるための手がかりとして位置づけられていて、とても良かったです。
為末さんがアスリート時代に、いかに結果を出すかということに注力した経験と共に語られる「諦める」という言葉には、とても説得力があります。
考えてみれば「継続は力なり」ということわざはありますが「辞めるは正義なり」みたいなことわざってないですよね。もしあったら私が不勉強なだけですが..
日本人の国民性なのかなんなのか、「辞める」ってマイナスのイメージを持たれがち。
でも辞めていいんですよね、「なんか違うな」と自分自身が気づいているのであれば。
私、子供の頃にピアノを習っていたんですけど、
「私は音楽が好きだから」とか「まだ弾きたい曲が弾けるようになってないから」とかなんとか言って、ずーーっと、だらだらと、高校生くらいまで続けていたんですよね。もう情熱がそこにないのに。
表向きは「まだ弾きたい曲が弾けるようになってないから〜」といいつつも、本当の本当は気づいていたのです。さほどその曲を弾きたくなくなっているということに。
- 「だって、ピアノを始めたときはあんな曲とかこんな曲も弾いてみたいって思ったのに。その気持ちは嘘じゃないのに」
- 「だって習い事は長く続けた方がいいってみんなが言うから。」
- 「継続は力なり」なんでしょ??
って。どこかの誰かが言っていたことを鵜呑みにしたり、自分の気持ちをごまかしたりしていたのですよね。
私はその後大学に入ってから軽音学部に入ってギターをはじめるのですが、これがまあ恐ろしいくらい上達しなくてですね・・
まともに曲が弾けるようになるまでにそこから約1年くらいを要しましたので、どうせなら、あの、惰性でピアノを続けていた時間を、もっと早い段階でギター教室か何かに通わせてもらってたら最初からバンド活動がスムーズに進んだかもね?と後悔したものです。
「続けなきゃいけない」の呪縛、これからも解いていきたいなあと思います。
そういえば以前「飽きる」ということについてnoteに書いた文があるので置いておきます。