めぐみろぐ

30代/2児の母の備忘録です。思ったことを書きます。

後ろめたさを手放していきたいという話

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今年の個人的な抱負は、不要な罪悪感を手放すということだったりする。

 

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前に「漠然とした後ろめたさ」についての話は、このブログにも書いたのだけど、

 

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こういった「後ろめたさ」や「罪悪感」って呪いだと思う。

呪いから解放されることができないと「自分が好きではないことや苦手なことも受け入れなくてはいけない」という発想になってしまいがち。知らず知らずのうちにハードモードを選んでしまうような生き方はできれば避けたいなあと思うのです。

 

「今思えば、そんなことに後ろめたさを感じる必要なんてなかったな」という「漠然とした後ろめたさシリーズ」が他にもいろいろあるので書き出してみる。

 

①王道の少年マンガにはまることができなかった後ろめたさ

10代のころ、少年マンガに興味を持つことができなかった。

ドラゴンボールも、スラムダンクも、ワンピースも、同級生が「絶対おもしろいから」と単行本を貸してくれたけど「おそらく、ここがいちばんの盛り上がるポイントなんだろうな」と思われるバトルシーンなどを全部飛ばし読みしてしてしまい「なんかごめんね・・」と思いつつ返却したりしていた。

「友情・努力・勝利」といった、人間としての原動力になりそうなテーマに興味をもてないなんて、自分は何かおかしいのではないか?という不安と自分への嫌悪感があった。 

②定番の映画をあんまり見てない後ろめたさ

これも上記と似たような感じ。王道の映画をあんまり見てないという後ろめたさ。

 

③運動部に所属したことがない後ろめたさ

中学生の頃、私の通っていた学校ではだいたいの子は運動部に入っていた。わたしは運動が嫌いすぎたので「ただでさえ嫌いなことを!人に強制されて毎日するなんて!絶対の絶対にいや!!!!」と思っていて中学高校とずっと文化部に所属していた。

そこまで明確にイヤだったのなら別にそれでいいじゃないのと思えればよかったのに「クラスの大半の子がやっていることが自分はできないんだな」という後ろめたさに繋がっていた

「やっぱりさあ!苦手なことにも向き合っていかないといけないんじゃないの??」と、もうひとりの暑苦しい自分が言っている感じだった。

 

感情の分析

でもこの前「鬼滅の刃」を見ていて「な、なんておもしろいのだろう..」と思いながら気づいたことがある。
 
私は、そもそも血が出たりする残虐なシーンは、自分まで痛い気持ちになってしまうので苦手だ。
だからバトルシーンなどを見ても「かっこいい」「興奮する」といった感情よりに「痛そう」「なんか大変そう」という気持ちが先に立ってしまうので気持ちにブレーキがかかってしまうことが多い。
さらに自分には「夢への冒険」であるとか「強い敵を倒すのがかっこいい」という発想が希薄だ。
 
ただ、鬼滅の刃に関しては、主人公である炭治郎が「家族を殺され、妹を鬼にされる」というところからストーリーが始まるので、私にも「うん、それじゃしょうがないよ・・戦わざるをえないよ・・」と納得した状態で入ることができた。
「本当は戦わないですむなら戦わないに越したことはないのだが、大事なものや人を守るために、状況的にそうせざるをえない宿命を持った主人公」が「やむをえず戦う」というストーリーにははまることが多い(『るろうに剣心』もその理由で好き)

自分は「マイナスをゼロにすること」には必然性があると思っているけれど「ゼロをプラスにする」ことを優先度低とみなしがちなんだと思う。
 
こんなふうに「なんか興味が持てないな」「理由はわからないけどなんか嫌い」といった曖昧な感情も、細かく分解していくことで自己理解につながる場合がある。違和感は自己理解のヒント
 

 

後ろめたさの正体

 

さらに学生時代に感じた後ろめたさは、

  • 「苦手なものは克服したほうがいい」
  • 「わからないものも努力してわかるようにならなくてはいけない」
  • 「みんなと同じようにできなければいけない」

という「みんなと同じようにできなくては」という思い込みから派生しているものが多い。

 

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まとめ

 

出会い方や、そのときの精神状態によって物事への印象は大きく変わる。

 

自分の持っているネガティブな感情や違和感についても、普段はなかなか自分でも「どうしてそう思うのか」がよくわかっていなかったりする。自分の感情を棚卸しして分析する時間を、今年は意図的に持つようにしてみたいと思う。

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