めくるめく雑記帳

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山田詠美『放課後の音符』のこと―価値観はいかにして形成されたかという話

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自分の価値観というものについて「この価値観、どこからきてるんだろう?何の影響なんだっけ?」と思うことがある。
「これはかっこいい」「これはかっこよくない」という、漠然とした主観というものが、自分の中にいろいろあるなあ、と思う。
むかし、自分が書いた、この記事とか、

あと、この記事とかをふと読み返していて思ったのだけど、

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なんだかどうも自分のなかには、「愚痴を言うのはよくないこと」という思いが、かなり強くあるみたいだな~、ということを、他人事のように思った。
なんというのだろう、愚痴自体が悪、というよりは、多分「感情の舞台裏が誰に対してもフルオープンな感じ」に対して抵抗感があるのですね。感情表現のしかたとして、ちょっと奥ゆかしさがあるほうが、かっこいいと思っているのです。なぜか。
そして、ふと気づいた。
あ、これ、高校生のときに読んだ、山田詠美先生の『放課後の音符』の影響が確実にあるわ。ということに。

この短編小説集は連作になっていて、主人公の女の子がさまざまな出会いの中で
世間的にはふつうだと思われていることに違和感を感じるようになったり、
世間的には「よくないこと」と思われていることだけれど、こんなに美しいのはどうしてだろう?と気づいたり、そういうエピソード散りばめられているのですが、
たとえば、失恋の傷をクラスのみんなに片っ端から愚痴っている友達のことを、かっこわるいって主人公は思うんですよね。
私の好きな女の子たちは、失った恋を皆、ひっそりと処理している。自分の心の中に小さなお墓をつくり、埋めてしまいたい恋に、やさしく、やさしく土をかける。そして、かけ終わった後に、こういう素敵な恋をしたのよとお友だちに話して見せる。
私は、まだ胸を疼かせながらも、小さな恋の埋葬の結末を囁くようにして話す女の子たちに、ずい分と憧れたものだ。今のカズミにそれはない。訳が解らなくて、やり切れない気持なのは私にも理解出来る。けれど、失くしてしまった恋は、涙のしたたる内に、他の人に知らせるものではないと、私は思う。
多分、カズミは、とても寂しいのだ。ひとりきりだと感じたくないから、皆に、色々なものを吐き出してしまうのだろう。たったひとりになったという孤独を何度嚙みしめることが出来たか。そのことが、女の子を恋上手にするのだと思うなんて、そんなことを本当の恋も知らない私が口にしたら、ちょっと、大人ぶり過ぎているかしら。
『放課後の音符』収録 『Red Zone』 より引用
 あと、ここ。
「私も素敵な恋がしてみたいなあ」
「あなた、素敵素敵って言うけど、素敵な恋は、悲しい気持をいつも引きずっているのよ」
『放課後の音符』収録 『Salt and Pepa』 より引用
「私も素敵な○○がしてみたいなあ」みたいな言い回し、なぜかイラっとしてしまうのだけれど、そうか、ここが出典だったか~と、読み返して思った。
という、個人的な感情のメモでした。
常々思うことだけれど、「青春小説」とされている作品って、むしろ大人こそ読むべきなんじゃなかろうか。
10代のころとは違う視点で読むことができるのはもちろんのこと「果たして、あの頃の自分に恥じない自分でいられているのだろうか?今のわたしは」などと身につまされる思いがしますね。