「自分に○○の適性があるかないか」
ということと、
「○○をやってみたいかどうか」
ということって、根本的に別の問題でして、
「やりたい」という気持ちは、自分にその適性があるかどうかに関係なく、気が付いたら発生するものだと思うんですが、
子供の頃とちがって、それなりに大人になると
「○○やってみたいな・・でもやってみてうまくいくかな・・」
「多分いままでの経験から考えて、私には○○の適性ってあんまりなさそうだし・・」
なんて余計な感情が湧き上がりがち。
経験が~邪魔をする~♪ とglobeのKEIKOも歌っていましたね・・(ああ小室さん)
「○○をやってみたい!でも、今までの経験から考えて自分はこういうの向いてないかもしれないな・・やってみてうまくいくかな…」なんて言って挑戦することから目を逸らしてしまうと、
そのときの「やりたい」という思いはどこへいってしまうのか?と思うわけでして、
多分、心の奥底に、「あのとき挑戦できなかった」という思いはずーっと残り続け、「ああ、生きてるあいだに○○に挑戦しておきたかったな・・」という思いを抱えながら死んでいくのかと思うと・・
そんなのは!そんな人生は!私は嫌なんだああああああああ!!!
すみません取り乱しました。
そんなわけで、やりたいことがあるときは、何事も、あんまり深く考えすぎずにできそうなところから挑戦してみて、それから考えたらいいじゃない?と、基本的には思っているのですが。
しかし、あんまりノープランでは計画倒れになる可能性もあります。
それに戦略をたててから取り組まないと、以下のようなデメリットが考えられます。
- 適性がないと技術の習得までに時間がかかるので、モチベーションの維持が難しい
- 適性があってめきめき上達する人と自分を比べて「ああ…私ってばやっぱり、こんなことやるべきじゃないんだ…」なんて自信喪失する可能性がある
- 複数人で取り組むジャンルのものである場合、技術の習得に時間がかかると、他の人に迷惑がかかる可能性がある
せっかく勇気を出して挑戦するのに計画倒れは勿体ない。
というわけで、「私、あんまり○○の適性がないかもしれない・・でも○○がやってみたい!」というときの心の持ち方を以下にまとめます。
これらを脳の片隅においておくと比較的順調にスタートが切れる・・かもしれません(個人の感想です)
- 独学・独習にこだわるのはほどほどに。(信頼できるメンターを探す)
- まずは失敗しても許される環境を整える
- 極力人に迷惑をかけないようにしようという意識はあったほうがいい
- すでにその道で結果を出している人が考えた既存のアイディアに頼る
- 無理をしない
- できなくて当たり前なので、出来なくてもいちいち落ち込まない
- 「私こういうの向いてないから」に逃げすぎない。やればやった分だけ能力は向上するのが当たり前だから、昨日の自分と比べて少しでも成長していたら自分をほめる
こんなところでしょうか。
次回、これらについてもう少し詳しく見ていきます。
それではまたお会いしましょう・・!
【追記】続編を書きました。こちらです↓