めくるめく雑記帳

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苦手は克服しようと思わないほうが克服できる説

「苦手を克服する」という考え方が苦手です。苦手なものは苦手なままでいいじゃないか。と思います。

というか、意識的にがんばってそう思うようにしています。だって苦手なものは苦手なんだもの、と。

そんな私もちょっと前までは「苦手なものは克服した方がいいに決まってる!苦手なものが少ない方が楽しいはずだし」と妄信していました。

たとえば、ピーマンが嫌いな子供が、「ピーマン、苦手だけどちょっと食べてみようかな」で食べてみて、
「あれ、確かにおいしくはないけど、でも食べられた!」ということが自信につながる、とかそういう話です。

そうやって少しずつ接触機会を増やしていくうちに嫌いなものを好きになったり、苦手なものが得意になったりすると信じていたのです。

それは物だけでなく人でも同じで、どんなに気が合わないと思った人とでもコミュニケーションを取れば、すごく仲良くなることは無理でも分かり合える部分もあるのではないかと思っていたのです。かつては。

しかしあるとき、ふと気づきました。
「苦手なものを『克服』するという考えってすっごい不健康じゃない?」ということに。

「あの人ってちょっと苦手だな・・でもよくよく考えれば、親切にしてくれるときもあるし・・」
「○○苦手だな・・でもよくよく考えれば、ちょっと楽しい部分もないわけじゃないし・・」

のように「がんばっていいところをみつける」のってすごい精神衛生上つらくない? っていうことです。

苦手な人のことも苦手なもののことも、苦手なままでいいや、くらいの方が結果的にうまくいくことが多いということに気づいたのです。

要は心に嘘をつかないということ。


しかし(またここでピーマンの例えに戻りますが)
どうしてもピーマンを食べなくてはならない時というのもあります。

そういうときも、
「ピーマン、苦手だけど、もしかしたら私が気づいてないだけで本当はおいしいのかも?」とか思う必要はないということ。

「ピーマンほんと苦手だわー!!まあでも苦手だけど!食べてあげるわよ!しょうがないわねえ!苦手だけど!」
くらいにしておいた方が気が楽なんじゃないのかということ。


ネガティブをポジティブに変換するのって、ものすごいエネルギーを伴います。

むしろ「苦手だなー!」と感じる、その心を自分で受け入れて自然に過ごしているうちに、
「あれ?そこまで忌み嫌うほどのものではなかったかもしれない」というように「結果的に克服してた」ということのほうが私は多いように思います。

苦手だと思う理由は、「現在の自分にとって不快である」というそれだけで十分。

自分の感覚を、大事にしていこうと思うのでした。


そんな私は、夏という季節が大大大大大大大大の苦手なので、夏が終わろうとしていることを、ほんとうに心から喜んでいます。
間違っても「でも夏にもいいところがあるし」「でも家族で旅行にも海水浴にも行けて楽しかったし」なんて考えません。だってあんなに暑くなければもっと楽しめたはずだもの。
これからは私の季節がやってくるのです。